東京・調布の注文住宅は小野寺工務店

おかげさまで創業60周年

フリーダイヤル0120-405-233(月-土/9:00〜18:00)

社長ブログ【president Blog】

2016年 明けましておめでとうございます。【by 社長】

|Date:2016年1月1日 | Category: |

新年を機に自社HPに私専用のブログを載せることにしました。

家業に従事し始めて30年を超え、社長を引き継いでから15年目を迎えました。 建築業界において経験をしてきたこと、また業界とは無関係なことも含め、日々思うこと、感じることをざっくばらんに語っていきたいと思います。

気取るつもりはありません。私自身が感じた生の情報だけを書き留めるつもりにしています。
読んで頂ける方がいるとしたら、それだけでも嬉しいです。よろしくお願いします。
最初なので自己紹介的なわが家の昔話をひとつ。

私は父大工、母床屋の長男として生まれ、今の場所に1歳の時から家=床屋でした。うちでは床屋部分を”お店”とよんでいて、約4坪ほどのお店には母を先頭に母の故郷岩手県から上京し住み込んでいる修行中の若手お姉さんが数人働いていました。母の名をとってユキ理容館といってまして、当時珍しく理容師全員が女性の床屋でしたのでけっこうな人気だったようです。

父は大工の棟梁なのでほとんど現場作業のため外に出ていました。そして同じように故郷から出てきた見習いのお兄さんが何人か住み込んでいました。そうです。うちには見習いの若い男女が住み込んでいたのです。最初の頃はほとんどが中卒、そのうち高卒の男女も入ってきてました。住み込みをしていた期間は約15年ほどかな、昭和な時代でしたね。子供だった私と妹は共稼ぎの親には忙しいせいかほとんどかまってもらえなかった。その替わりに住み込みのお兄さんお姉さんがいたのでまるで兄弟?親代わり?のように触れてくれていてけっこうな大家族でした。ご飯を炊くお釜が異常に大きかったのを覚えています。

子供の頃は父母両方の仕事を見たり手伝ったりしていましたが、何故だか将来は床屋をやろうという気になったことは一度もなく、思いついた頃には設計士が一つの夢になっており、建築業を目指すのでした。不思議なものですね。

その両親も80歳なかばで、元気にまたお正月を越してくれました。嬉しい限りです。

長くなりました。今年も素晴らしい年でありますように!

カテゴリー

アーカイブス

このページのトップへ